大阪の52(こーじ)さんから
N-ML西日本合同オフ会が
我が家から1時間余りに位置する「帝釈峡スコラ高原」
で開催予定と連絡を頂き、1か月程前に仮エントリーし
ついに3カ月振りに活動再開となりました。
この夏の暑さ、会社でのストレスで「お出かけ」どころか
自宅から出る事さえ、億劫になっており、
又、昨年の10月は、体調不良で丸1カ月間、休職した月
でもあった為、家族も心配してくれましてね(^^)
2年以上振りに、家族全員での「お出かけ」です。
9日
前夜から雨が降り続き、灰色の雲から落ちてくる雨のの下、
9:00に家族を乗せアトム発進。
昼食、夜食、朝食を仕入、給油等を含め、11:30
にオフ会会場に到着。
京都の「浜ちゃん」、九州の「星さん」愛知の「ヤマト」さんと
挨拶を交わし、初対面の何名かの方と名刺交換を済ませ、
この間も、奥ゆかしく、人見知り、そしてキャンカーに全く
興味の無い、家族はアトムに引籠ったまま!想定内(^^)
誘って頂いた「52」さんが日暮れになっても現れず、
我がアイホンは圏外で連絡できず・・・毎回期待を裏切る
ソフトバンクには閉口。
21時過ぎ、52さん現着。本来なら此処から25時位まで
お話タイムなのですが、僕は寝ぼけた状態で、話も噛み合わず
娘に促されアトムに戻り休憩。
長女が23時半にアトムに入った時には、ガーガー鼾をかいて
闇の世界に入滅していたとの事。
この時間に、僕が寝れる事自体実は珍しく、今回のオフ会で
心が癒された証かと、勝手に良い方に解釈。
翌10日
周囲から聞こえる「朝食」の音で8時過ぎにお目覚め。
睡眠導入剤も飲まず、10時間も寝ていた事になるんだけど
まだ、寝足りない感じ(^^)
仕事から離れ、キャンカー仲間に囲まれ安心と解放を存分に
満喫したんでしょうな~。
昨日の雨雲はすっかり消え失せ、高原の朝は少し暑い程の
快適な空気に包まれていました。
ワイワイ、ガヤガヤと時間を消費し、記念写真のお時間となり
12時散会。
1時間かけ自宅の戻り、またまた睡魔に襲われ良い心持で、
秋のまったりとした休日を過ごせました。
感慨
オフ会から戻った夜、家族に礼をいい、オフ会で聞いた話を
しました。
車好きの大阪の御母ちゃんがおってな、その人と話をしてたら
とんでもない話を聞いてん。
”今年の夏、中学1年の孫が、熱中症で亡くなった。2か月
余り、傷心し何も手がつかず・・・一昨日の金曜日が49日・・・
こんな話せんとこ思うてたんやけど、あんたに云うてもうた。”
大阪の御母ちゃんの悲しみは、僕を元気付けるものではなかった。
人間の儚さや、生きる事の悲しみや辛さを感じさせるものだった
けど、人の優しさ、愛情を改めて考えさせるには、十分すぎた。
僕の実母が生きてたら、大体同じお年頃の、大阪の御母ちゃん
”孫の分まで御母ちゃん、人生楽しまなあかんな、後20年は
キャンカーで遊ばな!無くなった御父ちゃん、初孫はきっと
御母ちゃんとキャンカー乗ってくれとるで”
オフ会帰り際に御母ちゃんが、携帯の待ち受け画像をこっそり
見せてくれた。それは、先日亡くなってしまった初孫が
ラグビーをしている写真であった。
僕は気丈な御母ちゃんの顔を見る事ができなかった。
愚者の僕にも彼女の眼から涙が流れだそうとしている事が
容易に推測できたからだった。
自分の事さえ満足に出来なくなってしまっている僕には
ありふれた言葉さえ、吐き出せず、亡くなった少年の写真を
見つめる事しかできない・・・・。
突然、大阪の御母ちゃんから力強い声で、
”ほな気つけて帰りや!”
”うん、ほな来年また会おうな”と僕はニュートラルから
ドライブにギヤを入れた。
僕の視界には高原の木々と、昨日が雨だった事を忘れさせる
澄み切った青い空がひろがった。少し車を進め、ドアミラーで
御母ちゃんを探した、こっちを見送ってくれている姿が
とても小さく見えた。
”人の一生なんてサイコロを振ってるんと同じような気がする。
確かに、努力である程度、裕福な生活や、遣り甲斐や、目標も
見えてくるけど。体壊して、今日大阪の御母ちゃんの話聞いてて
おとん、おかんの供養をしに、四国巡りが一段としたくなった。
何時も気丈にしてる大阪の御母ちゃんの、悲しみをみてたら
バカ息子を置いて、あの世に行かざるを得なかった両親の
気持、悲しみを感じてもうたんよ。
四国八十八箇所巡りさせて欲しい・・・・・。
こうゆう時の妻は、優しくてね。
”来週は秋祭りじゃけえ行けんけど、再来週は、土日休めるけえ
お父さんのしたい事しょう。”
大阪の御母ちゃんとの触れ合いが、次にすべき事への切っ掛け
となりました。
だからオフ会は辞めれない。